人格者になろう! 孔子の教え 論語 〜善い生き方とは〜

論語

どうも、キトテンです

人生どうやって生きていこう?

そう悩んだときにお薦めなのが

孔子の教え「論語」

一緒に勉強して

徳を積んで人望がある人になりましょう!

学ぶことは、人生の喜び

子曰く、学びて時にこれを習う、説ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。

学問をして学んだことを繰り返していると、学んだことがさらに深く理解できて、嬉しいことだ。

また、友人が遠いところをやって来てくれることも楽しいことだ。

人がたとえ自分のことをわかってくれることがないとしても、気にすることはない。

それが立派な人物というものではないだろうか。

師に教えてもらうだけが学びではない 

繰り返し学ぶことで自分の身になるのである

友人と話すことも人生の喜びである

他人が認めてくれなくても人を恨むようでは

人格者とは言えない

自分の信じたことを自分の喜びと感じられるような生き方をすることが大切である

反省する謙虚な気持ちが大切

曽子曰く、吾日に三つ吾が身を省みる。

人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交じりて信ならざるか。

伝えられて習わざるか。

孔子の弟子が言った。私は一日に三つのことを反省する。

一つは人のために考えて相談に乗る際に、真心を尽くしているだろうか?

友達との付き合いで信義を守っているだろうか?

しっかりと自分自身が身につけていないことを、知ったかぶりをして人に教えるようなことをしていないだろうか?

毎日その日の終わりに自分の行いを反省するのは難しいことです

自己中心的な人は反省どころか気がつきもしないで同じことを繰り返してしまいます

正しく生きようとしても時には過ちを犯すことはあります

そうした時に反省して二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることがとても大事です

反省することで謙虚な気持ちをもつ事もできます

人が生きるためには信用が大切

子曰く、人にして信なくば、其の可なるを知らず。

大車輗なく、少車輗なくば、其れ何を以て之を行らんや。

人として信義がなければうまくやっていくことはできない

牛車に横木がなく、つなぎ留めもなかったら牛車を繋ぎ止める事もできない。

一体どのようにして動かそうか。

人間関係には信義が必要で人として信用できない人は善い人でないのは当たり前です

信じることも信じてもらうことも人間としては、責任ある行動に裏付けられたものでなければ成立しない

信用や信頼は目で見ることができないのだから行動の積み重ねでしか判断できない

人の行いを見て我が身を反省する

子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。

賢くて徳を積んだ人に会うと、自分もそのような人のようにありたいと考えるものだが、

愚かで徳のない人の行いを見ると、自分はそのようになってはならないと自分を反省するものだ

他人のことはよくわかるものです

例えば自分では思い付かないような素晴らしいと思われる行動を取る人に出会ったりすると

なんと素晴らしいのだろう、自分もあのような立派な人になりたいと思うものです。

反対に見苦しい行動を取る人を見ると、あのような人になりたくないと考えます。

他人の行動は批判できても自分が批判されることはないか反省することはなかなかできないものです

他人の欠点を見つけるように自分自身の問題点に気づいたら、反省してあらためる姿勢が大切です。

成せば成る、成らぬは人の為さぬなりけり

冉求が曰く、子の道を説ばざるにあらず、力足らざればなり。

子曰く、力足らざる者は中道にして廃す。今汝は画れり。

冉求が先生の教える道を学ぶことを、嬉しいと思うわけではないが自分が力不足で進歩がない

といったことに対して先生は言われた。

力の足りないものというのはいつも途中で諦めてやめてしまう事になるが

お前は力はあるのに努力する気持ちがないので

自分から見切りをつけてしまっているのだよ

人が結果を出せるか、不成功という形で物事を途中で投げ出すのかは、

最終的にやりぬく精神力があるかないかによるものです

「成せば成る為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」

その気になれば何事もできないことはない。

できないということは、努力が足りないということですよ

精神力の大切さを説いています

何事も努力してやり抜く他ないのです

過ぎたるは猶及ばざるが如し

子貢問う、師と商とはいずれか賢れる。子曰く、師や過ぎたり、商や及ばず。曰く、しからば則ち師はまされるか。子曰く、過ぎたるは猶及ばざるが如し。

子貢が師(孔子の弟子)と商(孔子の弟子)とではどちらが優れているかと尋ねた。

先生は、師はゆき過ぎていて商はゆき足りないと言われた。

それならば師が勝っているのですかと子貢が言うと、

孔子は過ぎるのはゆき足りないのと同じなのだ。と言われた。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言うのは

善いことでも度を越してしまうと害になり足りないのと同じことで感心できない

と言う意味です

まとめ

善い生き方とはという教えを見てきましたがいかがだったでしょうか?

道徳というのは結論が出ている学問と言われています

数学とか物理なんかはまだまだわからないことが多い学問で研究の余地があるが

道徳は違います

もう何年も前から善い生き方とはなんなのかっていうのが

わかってますよね

今も昔も変わらないんです

何歳からでもどんな人でも今から変われます!!!

今が人生で一番若い時

善い生き方をして人格者になりましょう!!!

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